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■余談(ひとり言的な話)■



マイナーチェンジ完了しました(2020.9.3)
マイナーチェンジを行い、記事の表示を一覧表示から個別表示に変更しました。 [...]


野村望東尼終焉の宅の碑(2020.8.4)
史跡 野村望東尼終焉の宅 望東尼は福岡の歌人 激動する幕末志士のかげにあって活躍した女流勤王家である 薩長の連合が成り 討幕軍が三田尻から出陣しようとするとき [...]


羽犬塚の由来(2020.8.3)
羽犬塚の由来は、二つあるようです。 一つは九州征伐の際、豊臣秀吉が連れてきた羽がはえたかのようにすばしっこく走り回る犬がこの地で死んだため、塚を作り「羽犬 [...]


ケネディが尊敬した日本人(2020.8.2)
以前、ケネディ元米大統領がもっとも尊敬する日本人として上杉鷹山を挙げたという話があり、この逸話の真偽に関しネット上で肯定派と否定派が激論を戦わす時期がありました [...]


足立山の伝説(2020.7.27)
数年前、北九州にある足立山妙見宮の和気清麻呂公像を撮影に行ってきたのですが、その帰り、住宅街の通りを車で走っていると、なんか歩道を歩く犬・・・チョットした違和感 [...]


塔原の由来(2020.7.25)
筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。 貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で 「むかし此所(ここ)に塔あり [...]


平家最後の拠点・彦島(2020.6.9)
九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追 [...]


儀右衛門 からくり太鼓時計(2020.6.1)
このモニュメントは、郷土が生んだ偉大な発明家「日本第一細工師」田中久重翁(1799-1881)の生誕二百年を祝い、その業績を顕彰するため久留米市制施行百十月 [...]


ドメイン変更しました(2020.4.19)
経費削減のためドメインの変更を行いました。 変更は以下の通りです。 www.fukuokashiden.net → www.2810w.com [...]


破るる夢も惜しからず(2019.10.17)
鶯や破るる夢も惜からず 温泉に通ふ下駄と雲雀の声高し 江戸時代、黒田藩中老・立花秋水の作 [...]


志賀島と海の中道(2019.10.12)
福岡の志賀島は砂州で九州本土とつながる陸繋島(りくけいとう)になります。そして志賀島と九州本土をつなぐ砂州が「海の中道」と呼ばれています。写真は「海の中道」 [...]


ページ名称を「福岡史伝」に変更しました(2019.10.10)
ページ名称を「福岡史伝と名所旧跡」から「福岡史伝」に変更しました。 また、twitterの「埋め込みタイムライン」がカスペルスキーとの絡みで上手く表示でき [...]


ワードプレスのページは閉鎖しました(2019.10.9)
PC用とスマホ用のページで二重管理が煩雑になったため、PC用のページはワードプレスから以前のhtmlバージョンに戻しました。 [...]


水時計があったとされる大宰府・築山(2019.10.8)
中大兄皇子が開発した「漏刻(水時計)」が設置されていたといわれる築山。
太宰府政庁のすぐ東側にある小高い山ですが、高台に「漏刻」を置くと水はどのよ [...]



歴史はむつかしい(2019年4月30日)
最近時間の合間に勝海舟の談話集「氷川清話(講談社学術文庫)」を読んでいるのですが、海舟の歯切れの良い発言に久し振りに爽快感を感じながら読み進めています。 読み [...]


豊前、筑前、筑後について(2018年12月31日)
現在の福岡県は大まかに分けて北部と南部の二つの地域に分かれていて、同じ福岡県人でも言葉やイントネーション、文化が微妙に違います。これは佐賀県でも同様のようで、山 [...]


薩摩街道 松崎宿「油屋」(2018年11月25日)
数ヶ月前の事になりますが、西郷隆盛の泊まったといわれる小郡市松崎の「油屋」の撮影に行って来ました。残念ながら史跡「油屋」は建替中で足場が組んであり見学する事はで [...]


マルちゃん訪問(2018年10月9日)
先日、テレビで有名になった嘉麻市・前田酒店の店番犬・マルちゃんに会いに行ってきました。 中に入ると、マルちゃんは店内の片隅でお昼寝中。 見知らぬ来客 [...]


筑紫とは?(2018年9月24日)
益軒は筑前国続風土記の冒頭で、筑紫について言及しています。 「此國を筑紫と名付し事、古は筑前筑後一国にして、是を筑紫といへり。故に日本紀等の古書に、筑紫といへ [...]


大宰府史跡 ロゴマーク募集 情報(2018年8月12日)
九州歴史資料館のページにロゴマークの募集が掲載されていましたのでリンクを貼りました。 大宰府史跡指定100年事業 ロゴマーク大募集
[...]



PCページをリニューアル(2018年7月22日)
PCページをリニューアルしました。これに伴い、web.fukuokashiden.netは重複管理となるため廃止しいたしました。スマホのページは現状どおりとなっ [...]


親不孝通りの史跡(2018年4月7日)
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通 [...]


五郎山と天山と宝満山(2018年3月5日)
福岡県筑紫野市にある歴史にまつわる三つ山を撮影しました。(北に向かって撮影しています)
 手前が五郎山古墳がある原田・五郎山。五郎山古墳は終戦から [...]



SSL対応で不具合発生!(2018年1月13日)
通販サイト以外でもSSL対応は当たり前になってきているようで、検索サイトでも表示順に優劣がつく様です。 そこでMYページをSSLに対応させてみたのですが、手打 [...]


人参が嫌いな子は読むべからず(2017年11月18日)
益軒は養生訓・巻第三の末にこう書いています。 「心口にかなわざる物、食うべからず」 講談社学術文庫「養生訓」の訳者・伊藤友信氏は「心口にかなわざる物 [...]


宝石で雀を撃つが如し(2017年8月17日)
益軒は「養生訓」で次の通り語っています。 「宝石を礫(つぶて・石ころ)として雀を撃たば、愚なりとて、人必ず笑はん。・・・中略・・・かろき小なる欲を貪りて身を損 [...]


貝原益軒記想録をリリースしました。(2017年6月30日)
「益軒先生伝」を分離し新たに"http://ek.fukuokashiden.net" target=_top>「貝原益軒記想録」としリリースしました。(分離と [...]


福岡史伝WordPress版を公開しました(2017年5月28日)
"http://web.fukuokashiden.net" target=_top>福岡史伝のWordPress版を公開しました。内容は「福岡史伝と名所旧跡」 [...]


引越しに伴う停止のお知らせ(2017年4月19日)
サーバーの引越しに伴い約24時間ほどページの公開を停止します。期日は4月23日(日)22:00~を予定しております。 [...]


plalaのページを閉鎖しました。(2017年3月7日)
plalaの個人ページにて公開しておりました「福岡史伝と名所旧跡」も5年を超え、更新も現行のサイトのみとなっておりました。この流れよりplalaのページは役目と [...]


咎むべからず。憂うべからず。(2017年1月26日)
貝原益軒は著書「養生訓」に次のような事を記述しています。 「世の中の人の行動が、自分の意にそわなくても、『人とはそんなものだ』と考えて、人の悪いところは、 [...]


現在スマホ対応中です。(2017年1月8日)
最近スマホによるアクセスがPCからのアクセスを大きく上回っているのが現状の様です。 当ページは、トップページのみのスマホ対応となっていたため、現在、早急なスマ [...]


酒食を過すは腹中を戦場となすが如し(2016年12月31日)
胃腸を酷使する時期も山場を迎え、正月明けには胃腸薬のお世話になる人も多いのかもしれません。 ところで、貝原益軒の「養生訓」には過酒食について次の通り書かれ [...]


養生訓 「怒」と「欲」について(2016年12月25日)
貝原益軒は著書「養生訓」で怒りと欲について次のような事を語っています。 「怒と欲との二つ、最も徳を破り生を失う。怒りを懲らし、欲を塞ぐは易の戒めなり。怒り [...]


日本人は勝負事が好き?(2016年12月14日)
このところIR(Integrated Resort、統合型リゾート)法案で国会が騒がしくなっているようですが、観光客が増え、雇用が増え、税収が増えるのであれば悪 [...]


酔っぱらいは芸術家?(2016年11月30日)
またまた飲酒の話になりますが、貝原益軒は「養生訓」に多飲の戒めとして次の通り記しています。 「生来謹厳な人も多く飲めば、欲深くなってみぐるしく、平常心を失 [...]


歴史語呂合わせ(2016年11月25日)
中学時代、秀才と言われる学友は受験前になるとこの歴史語呂合わせを日常会話の中で披露して人を笑わせていましたが、勉強嫌いな私はほとんど興味をそそられる事はありませ [...]


福岡市博物館「滇王之印」複製品(2016年11月13日)
福岡市博物館には、「漢委奴国王」印と同じ蛇鈕(蛇を象った取っ手)を持つ金印「滇王之印(てんおうのいん)」の複製が展示されています。 この金印は1957年に中国 [...]


酒は天の美禄なり(2016年8月5日)
貝原益軒は養生訓で「飲酒」について次のように語っています。

「酒は天の美禄である。少量の飲酒であれば陽気になり血行も良くなり、食欲も出て、 [...]



ただいま禁煙中・・・(2016年6月19日)
禁煙するのは簡単ですが、タバコを止めるのは難しい・・・。
禁煙すること数十回、最高2年間やめましたが、ストレスでここ1年間喫煙中でした。
[...]



なぬ~大宰府政庁跡でももクロがLIVE!?(2015年10月14日)
2015年10月31日(土)、ももいろクローバーZが大宰府政庁跡でLIVE!?。なんと素晴しいアンマッチ。後片付けさえ問題なければ、斬新な企画。発案者は現代の平 [...]


奈良時代の筑後・肥後の農民たちの事(2015年9月6日)
奈良時代に筑後・肥後で農政改革を行った道君首名(みちのきみおびとな)の功績は間違いなく褒め称えられるべきものなのでしょうが、その功績は農民たちの協力なくしてはな [...]


有馬記念の由来(2015年9月6日)
余談ですが、競馬のオールスター戦で、かつ一年を締め括るGⅠ(グレード1)レースの「有馬記念」は中央競馬会理事長だった有馬家15代頭主、有馬頼寧(よりやす)氏によ [...]


「黒田節」像の余談(2015年9月6日)
余談になりますが、以前、酒の席で「九州の男はよく酒を飲むなあ」と東京や大阪の先輩方から度々お褒めいただいた事がありますが、どうもこのイメージを植えつけた一因が「 [...]


戒壇石の事(2015年9月6日)
戒壇院の門の傍らにある石柱には、「不許葷酒肉入境内」と彫ってあります。 おそらく「境内に葷、酒、肉を入るを許さず」といった内容で当時の戒律の厳しさが偲ばれます [...]


浅野四郎左衛門の事(2015年8月1日)
先日、「お綱門の事」の記事を書いていて思った事です。 事件後にお綱の夫・浅野四郎左衛門には陰に陽に批判が殺到し著しく藩内での立場を悪くしたのではないかと想像さ [...]


レンタルサーバに引越し(2015年5月26日)
最近ちょっと時間ができたので、固定IPを取得しLinuxサーバを立ち上げてみる事に・・・。 しかしWeb公開の段階で壁に突き当ってしまい「自宅サーバの電気代は [...]


都井岬の馬(2014年8月28日)
宮崎の観光名所のひとつ「都井岬」にはの野生馬が生息していることで有名ですが、これは秋月藩が軍馬育成のために放牧したものが野生化したものといわれています。 秋月 [...]


「新選組始末記」について(2014年8月27日)
このサイトでも真木和泉、平野國臣、篠原泰之進の項で参照している「新選組始末記」ですが、 残念ながらこの書は史家や歴史作家より創作の部分が余りにも多過ぎると [...]


孫子の兵法の事(2014年3月21日)
「孫子」は中国の春秋時代末(今から2500年ほど前)に孫武によって書かれたと言われる兵法書ですが、日本でも古くから軍事を学ぶテキストとして多くの人が通読していた [...]


棟上げの菓子袋の思い出(2014年1月3日)
以前は棟上げといって新築家屋の骨組みが出来上がると、餅を撒いたり近隣の子供たちに菓子の詰まった袋を振る舞ったりする風習がありました。 今でもこの様な習 [...]


官兵衛的な人たち(2013年11月3日)
えらく豪胆な人、すごく気配りのできる人、運動神経が超人的な人、仕事が超速い人、信じられないぐらいな美形な人。 永年 社会で仕事をしていると色んな面で優 [...]


宮古の思い出(2013年9月12日)
1987年頃の事だったと思いますが、バイクでの一人旅、北海道へ向かう途中の岩手県での話です。 「新選組副長の土方歳三率いる幕府軍が最新鋭軍艦『ストーン [...]


三国志について(2013年8月14日)
「邪馬台国はどこ?」の冒頭で「皆さんよくご存知の『三国志』には・・・」と書いてしまいましたが、 正確に書くと日本で一般的に知られているのは晋の時代に陳 [...]


「御堂関白記」が世界記憶遺産に登録(2013年8月8日)
6月18日に藤原道長の「御堂関白記」がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。 日本の古典が世界に評価されるのは非常に喜ばしい事ですが、この人は結構 [...]










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スポットライト人物伝


【黒田長溥(くろだながひろ)】
(1811年~1887年)


島津藩主の重豪(しげひで)の十三男で、黒田家に養子として入ります。 開明的な藩主で蘭学を取り入れ中洲には反射炉を建設するなどしています。 しかし1865年の「乙丑の獄」で筑前勤王党の弾圧を行い勤皇派を一掃します。 弾圧の原因はハッキリしていないのですが、 勤王党の過激な一派が長溥の重臣を暗殺した二つの事件が一因であるのは間違いないようです。 結果的にこの弾圧が明治以降、福岡藩に大きな影を落としてい.....[全文を表示]



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