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福岡人物伝
 【坂本龍馬(さかもとりょうま)

勝海舟が失脚し、1865年 神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は一旦、鹿児島に身を寄せます。 そして5月には太宰府を訪れ五卿と面談します。この時に五卿の一人、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は龍馬の印象を 「偉人なり、奇説家なり」と評しています。龍馬の行動は慌しく、その数日後には下関で桂小五郎と面会し薩長同盟を図りますが、 西郷隆盛が下関に現れなかったため、この時の同盟締結は失敗します。同盟が成ったのは翌年1月で、 情勢は倒幕に向かって一気に動き出しますが、その翌年1867年11月、 京都・近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ維新を迎えることなくその生涯を終えることになりました。




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スポットライト人物伝


【亀井南冥(かめいなんめい)】
(1743年~1814年)


大阪で儒学や医学を学び1785年に福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の館長となります。 この頃に志賀島で発見された金印を漢の光武帝より奴国王へ送られた「漢委奴国王印」と鑑定します。 これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印です。 甘棠館は後に廃校となり学生は東学問所の修猷館に統合されますが、 私塾亀井塾として亀井学派は存続し門下生から平野國臣や高場乱、広瀬淡窓などを排出しています。 広瀬淡窓.....[全文を表示]



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