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福岡人物伝
 【亀井南冥(かめいなんめい)

大阪で儒学や医学を学び1785年に福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の館長となります。 この頃に志賀島で発見された金印を漢の光武帝より奴国王へ送られた「漢委奴国王印」と鑑定します。 これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印です。 甘棠館は後に廃校となり学生は東学問所の修猷館に統合されますが、 私塾亀井塾として亀井学派は存続し門下生から平野國臣や高場乱、広瀬淡窓などを排出しています。 広瀬淡窓は天領日田に「咸宜園(かんぎえん)」を創設した人物でそこからは高野長英、大村益次郎、上野彦馬などが出ています。




















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スポットライト人物伝


【大友宗麟(おおともそうりん)】
(1530年~1587年)


豊後の守護大名で、最盛期には豊前、筑前、筑後から肥後の北部までを手中に収めます。 政治的な駆引きや武将としての能力は高かったようですが、 性格的に強引な面があったのか、配下の武将が各地で反乱を起しています。 そして1578年の「耳川の戦い」で北上してきた島津軍に大敗し多くの有力武将を失い防戦一方となります。 その後、豊臣秀吉の援軍を得たため島津軍は撤退したものその翌年には病没しています。



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