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福岡人物伝
 【草野経永(くさのつねなが)

筑後の御家人で父・草野永綱(くさのながつな)と共に「弘安の役」に参陣します。 博多湾に悠々と停泊する元の船団を目の当たりにした経永は「何とか一泡吹かしてやろう」 と2艘の小船に郎党を分乗させると夜陰に紛れて元の軍船に近づきます。そして敵船に飛び移ると火をかけ、 無警戒だった元軍の兵士たちを次々に討ち取り、凱旋します。 この奇襲戦の成功を知った他の御家人たちは「先を越された!」と悔しがり、その後に多数の小船が夜襲をかけたといわれています。 敵将を生け捕りにした伊予の河野通有も経永の夜襲の翌日に出撃しています。 この経永の家名「草野」は始祖の永経(ながつね)が平安末期に地名の草野を名乗ったもので、 その地名は現在でも久留米市の中心地より10㎞ほど東方に草野町(くさのまち)として残っています。




















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スポットライト人物伝


【按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)】
(?~?)


「壇ノ浦の戦い」で平家が敗れると安徳天皇を抱いて入水したといわれる女性で、鎌倉軍の兵士に引き上げられます。 時期は不明ですが伊勢はその後、九州筑後へ移り、筑後川の辺(ほとり)に社を建て安徳天皇、高倉平中宮(平徳子、清盛の娘)、二位の尼(時子、清盛の妻)を祀ります。 そしてこの社で加持祈祷を行い村人より敬われたといわれます。この社が久留米水天宮の起源になり、 現在、境内にある「千代松神社」はこの按察.....[全文を表示]



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