余談 【井上伝の胸像】久留米絣の開発者、井上伝の胸像です。この像は近代産業の担い手となった著名人とともに久留米・五穀神社の東側に立っています。 絣とは織る前に糸の一部を染め、その染まった部分と染まっていない部分の交わり方で柄をだす綿織物になります。ちなみに福岡県には久留米絣とは別に博多織という有名な織物がありますが、こちらは絹織物になります。
久留米絣の開発者、井上伝の胸像です。この像は近代産業の担い手となった著名人とともに久留米・五穀神社の東側に立っています。 絣とは織る前に糸の一部を染め、その染まった部分と染まっていない部分の交わり方で柄をだす綿織物になります。ちなみに福岡県には久留米絣とは別に博多織という有名な織物がありますが、こちらは絹織物になります。
【河野通有(こうのみちあり)】(1250年~1311年)伊予の御家人で「弘安の役」に博多湾岸警護に参陣します。 河野の軍は防塁を背に陣を張り元軍に怯るまない姿勢を見せました。 この陣は「河野の後築地(うしろついじ)」と評判になり日本軍の意気高揚につながったといわれます。 また操船術に長けた河野軍は小船で元軍の船に夜襲をかけます。通有は元軍の放った石弓により負傷しますが、 敵将を生け捕りにする武功を挙げたと言われています。
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