名所旧跡・筑後地区南部 【懐良親王終焉之地】-八女市星野村-
懐良親王終焉之地の碑
南北朝の折 征西の宮 星野の地にありて勤皇の志気を鼓舞せられたが弘和三年二十七日土穴にての伝えあり 今尚 大円寺に於て法要を営む 伝征西将軍宮 懐良親王陵 御陵大明神山中これより 二十分 大円寺星野一族菩提寺 五分 昭和三十八年三月 星野村
【毛利勝永(もうりかつなが)】(1578年~1915年)毛利勝永は秀吉配下の森吉成(のち毛利勝信)の嫡男で、九州征伐の功により、田川企救郡を賜った父に従い小倉城に入ります。そして父・勝信は、約13年間この地を治めますが、その間に近隣の大勢力・毛利氏との繋がりで、姓を毛利に改めます。しかし毛利氏との間に太い血縁はなかったようです。 関ヶ原の戦いでは西軍に属し、伏見城を攻め落しますが、最終的に西軍は敗北します。この敗戦で毛利勝信、勝永親子は小倉の.....[全文を表示]
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