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案内板
 【船迫窯跡-築上郡築上町船迫-

船迫窯跡

国指定史跡 船迫窯跡
(平成11年1月28日指定)

平成7年、船迫地区の農業基盤整備に伴う発掘調査で、水田下より大規模な工房建物跡が発見されました。これを契機に窯跡の確認調査を実施したところ、9基の窯跡が保存状態も 良く確認されたことから、平成11年に国の史跡に指定されました。
船迫窯跡では約1300年前の古墳時代から焼き物の生産が始まりました。ここから西側の茶臼山東窯跡群では、6世紀後半に須恵器(水甕やお碗など灰色の硬い焼き物)を焼き、また7世紀中頃になると須恵器に加え、瓦の生産も始まりました。さらに奈良時代には、ここ堂がえり地区で豊前国分寺の屋根瓦をつくるため、巨大な建物を2棟建て、粘土から瓦をつくり、乾燥させ、堂がへり1号・2号窯で焼きました。
船迫窯跡は須恵器生産から瓦生産に至る変遷が分かり、また工房と窯跡が一体となった全国でも数少ない貴重な遺跡です。ここ船迫窯跡公園には奈良時代の復元工房建物や、山中には 発掘調査された窯跡をそのまま見学できる窯跡展示建物、出土遺物の展示や陶芸体験ができる体験学習館があります。


船迫窯跡にある案内板より


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スポットライト人物伝


【高場乱(たかばおさむ)】
(1831年~1891年)


男子として育てられた男装の女医で、かつ教育者。金印の鑑定をした亀井南冥の学派の塾に学び、後に興志塾を起します。 「福岡の変」には塾生から多く者が参加しています。そして1889年に教え子の来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信暗殺未遂事件をおこし自決すると、 来島の死を嘆きながらも「匹夫の勇」と厳しい言葉を投げかけています。



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