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余談
 【野村望東尼終焉の宅の碑

史跡 野村望東尼終焉の宅
望東尼は福岡の歌人 激動する幕末志士のかげにあって活躍した女流勤王家である 薩長の連合が成り 討幕軍が三田尻から出陣しようとするとき 寄寓先山口から防府に来て 防府天満宮に七日間参籠して王政復古を祈った 間もなく病を得慶応三年十一月 六十二才で没したのち正五位を贈らる
防府市大字三田尻村岡村町
其の旧地防府市大字三田尻本町
墓地 桑山西南麓
昭和五十一年七月吉日


山口県防府市岡村町5-6にある記念碑の案内石板より


野村望東尼終焉の宅は写真の碑の向かいにありますが、これは移築されたもので実際の終焉の宅の地は南東500mほどのところにあります。



















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スポットライト人物伝


【河野通有(こうのみちあり)】
(1250年~1311年)


伊予の御家人で「弘安の役」に博多湾岸警護に参陣します。 河野の軍は防塁を背に陣を張り元軍に怯るまない姿勢を見せました。 この陣は「河野の後築地(うしろついじ)」と評判になり日本軍の意気高揚につながったといわれます。 また操船術に長けた河野軍は小船で元軍の船に夜襲をかけます。通有は元軍の放った石弓により負傷しますが、 敵将を生け捕りにする武功を挙げたと言われています。



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