『福岡史伝』はリニューアルしました。新ページはこちらからどうぞ!!

旧ページは数ヶ月ほどで閉鎖いたします。これからも『福岡史伝』をよろしくお願いいたします。



Mousegallery






名所旧跡・筑後地区南部
 【水田天満宮-筑後市水田-



筑後市にある水田天満宮は鎌倉時代に菅原道真公を祀り創建された神社になります。幕末の志士・清川八郎は「九州第二天満宮なり」と自著に記述していることが水田天満宮のページに記載されています。
この地は、筑後の志士・真木和泉が10年ほど蟄居したところで、現在も神社の南西100mほどのところに山梔窩(さんしか)という史跡が置かれています。ここには筑前の志士・平野國臣や前出の清川八郎が来訪し、尊王攘夷の策源地となっていたものと思われます。

また水田天満宮本殿の北に接するところには末社の恋木神社(こいのきじんじゃ)があり、恋する女性やカップルの聖地ともなっています。
そのほか境内には、スズメバチを退治して住民を助けた鷽の像やさざれ石などが置かれ、観光でも見どころがあります。








関連記事:山梔窩

















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【少弐頼尚(しょうによりなお)】
(1294年~1372年)


少弐貞経の嫡男。九州に落ちた足利尊氏を下関で出迎え京の戦で敗れた尊氏を励ましたといわれます。 そして父・少弐貞経を討った菊池武敏を尊氏と共に「多々良浜の戦い」で破り、肥後に追います。 しかし二十数年後日本三大合戦に挙げられる「筑後川の戦い」で菊池武光に破れ2年後に大宰府を奪われることになります。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝