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福岡人物伝
 【篠原泰之進(しのはらたいのしん)

筑後浮羽の出身で関東で攘夷活動に走ります。その後、伊東甲子太郎に従い京都にて新選組に加入しますが、2年と数ヶ月後には伊東ら同士と共に御陵衛士(ごりょうえじ)を創設し新選組より離脱します。新選組はこの行動を表向きには了承しますが、脱隊を原則違反とする新選組の近藤勇、土方歳三らは伊東甲子太郎を謀殺、遺体を引き取りに来た御陵衛士を待ち伏せし3名を斬殺します。多勢に無勢で篠原ら数名はその場から逃走し薩摩藩に匿われますが、その一ヵ月後には新選組への報復となる銃撃事件を起こし近藤に重傷を負わせます。
「鳥羽伏見の戦い」以後は相楽総三の赤報隊(せきほうたい)に属し戦いますが、赤報隊は偽官軍の汚名を着て相楽は斬られ篠原らは獄に繋がれます。妻女らの助命活動で後に許され以後は薩摩軍に属し戊辰戦争を戦いました。




















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スポットライト人物伝


【母里太兵衛(ぼりたへえ)】
(1556年~1615年)


黒田家の武将。「黒田節」は太兵衛が大杯の酒を呑み干し福島正則より名槍「日本号」を受け取った出来事を唄にしたものです。 太兵衛はこの唄で詠われた「日本号」を朝鮮役で太兵衛の窮地を救った後藤又兵衛へ送ったといわれます。 そして「大阪夏の陣」で又兵衛が討死すると、太兵衛もまた時をおかず死去しています。



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